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禅は、精神を統一し、真理を求めるという意味を表すサンスクリット語(古代インド語)の「ディヤーナ」を、中国語に音訳した「禅那」(ぜんな)を簡略化させた言葉です。
また、坐禅修行をする禅宗を表す言葉でもあり「心」を表した言葉とも言われています。
つまり、禅は信仰というよりも「心」「修行」と言えるでしょう。
もともと、禅は古代中国の菩提達磨(ぼだいだるま)という名をもつインド人仏教僧が始祖。
サンスクリット語の「ボーディダルマ」を中国語に音訳したの名前で「ダルマ」は「法」をあらわす言葉として知られています。
菩提達磨(以下:達磨)が生きた時代は5世紀〜6世紀。
達磨は、インドから中国に渡り、現地では釈迦の弟子として「禅那」の普及につとめました。
飛鳥時代には、禅の考え方や教え自体はすでに日本に入っていたと言われています。
本格的に広まったのはもう少しあとの鎌倉時代。
栄西(えいさい)と道元(どうげん)により、本格的に普及するようになりました。
栄西は臨済宗、道元は曹洞宗を開いたと言われています。
今日でもこれらの禅宗五家に親しんでいる方は多いですよね。
他の禅僧としては、「一休さん」のモデルである禅僧・一休宗純(いっきゅうそうじゅん)や「たくあん漬け」を作ったことで知られる沢庵宗彭(たくあんそうほう)が有名です。
禅の教えの中心に存在するのが「不立文字」(ふりゅうもんじ)という仏教思想。
文字や言葉による学び・教えではなく、修行経験・体験によって教えを習得し伝えていく思想です。
ご存知の方も多いであろう「坐禅」(ざぜん)にも近い仏教の修行方法を実践するのも、禅の修行方法であると言われています。
また、不立文字以外にも、達磨はあと3つの考え方を提唱しています(四聖句)。
これらの修行をベースに、禅の思想を身につけて悟りへの道を歩んでいきます。
仏教世界の中では、私たちの心はもともと清らかな「仏」であると言われています。
ただ、生まれてから自己・自我が芽生え、自らの社会的立場や都合を守ろうとするようになってから、もともと清らかだった仏の心が濁っていくのだそうです。
仏教世界では、自己は実体のない幻のようなもので、禅の世界においては私たちを惑わす迷いや束縛・執着の正体とされています。
禅の修行である「坐禅」(ざぜん)を通して、自己の迷いや束縛、執着といった禅の教えに無駄なものを削ぎ落とし、「無」である自分に帰ることが必要とされているのです。
最終的な禅の目的は「悟りを開く」こと。
自分の内にある仏性を見つけ、身も心もあらゆる執着から自由になることとされています。
道元によると、この状態を「心身脱落」と呼ぶそうです。
主な修行の一つである坐禅では、坐禅中にあらゆる雑念や欲望、目的探しや思考することは禁じられています。
これらを含めたあらゆる雑念を取り払い、自分のあるがままの姿に気づくことで無の自分を見つけるのです。
坐禅に励むこと以外に、下記も禅に繋がるとされています。
禅で悟りを開くことに興味をもったら、ぜひ行っていただきたいことがあります。
それは「坐禅」と「作務」の二つです。
まずは坐禅の方法からご紹介します。
詳細は動画でもぜひ確認してみてください。
ご自宅では、座布団やクッションを用意して座るのもおすすめです。
もし、足を組む際に痛みを感じたら、片足のみ膝の上にのせたり、あぐらをかくだけでもOKです。
最初のうちは、頭に浮かんでくる雑念を取り払い無になるのがとても難しいかもしれませんが、回数を重ねるうちに徐々に慣れてくるはずですよ。
また、坐禅時に腹式呼吸をすることで副交感神経が活発化され、気持ちが穏やかになり、血圧も気持ちも落ち着くというメリットも得られやすくなります。
怪我などで坐禅が難しい場合は、椅子に座って坐禅を行うのがおすすめです。
まずは骨盤と背骨をイメージしながら椅子に腰掛けましょう。(座面は肘掛けや車輪なしのもので、やや硬めのものがおすすめです)
背もたれにはもたれず、骨盤を立てるように座り、坐禅と同じ方法で手を合わせて呼吸すると良いでしょう。
就寝前と起床時が推奨されているタイミング。
特にお風呂上がりは筋肉が柔軟になっており、全身の筋肉をほぐすのにも効果的です。
朝晩の習慣づけで、気持ちのリフレッシュもできそうですね。
筆者は以前、曹洞宗・永平寺で坐禅体験に参加したことがあります。
その時の禅僧さん曰く「起床後だけでなく、日常の些細なことでイライラを感じたときやストレスを感じた時にも行ってみてください。」とのことでした。
おそらく、読者さんの中でそう感じた方もいらっしゃるかと思います。
坐禅は坐禅によって悟りを開くことを目的としたもの、瞑想は坐禅などによって得られる一種の「状態」を表します。
瞑想はストレスの緩和に効果が期待できるだけでなく、仕事や作業への集中力・生産性向上にも役立つと言われています。
また、主に仕事や人間関係、学業など社会のあらゆる活動分野に応用させることを目的にし、「今ここにある状態」に重点をおいた心を作るのがマインドフルネスとなっています。
作務は「美しい心をもって取り組む労務」のこと。
主にお寺で行われる掃除やお料理などの環境整備やメンテナンス作業を指します。
掃除を修行として捉え、修行場・お寺を常に申請で精神的な場として整えることで、自分自身を整えて悟りを高めるため、日々禅僧さんたちが努力しています。
筆者が以前訪れた永平寺では、ゴミ箱が「護美箱」と表記されていました。
単にゴミを捨てるための箱なのではなく、美しい心と環境を護るための箱として活用されているようです。(禅の世界では個体に固定価値が存在しないため、現実世界でゴミになるものをゴミと呼ばないなど、「ゴミ」の呼び方には諸説あります)
お寺からみなさんのご自宅・職場に置き換えると、作務はどう置き換えられるでしょうか。
このように、目的をもって家事掃除をすることになるでしょう。
環境を整えることで心を整え、幸せで健やかな環境と人間を作っていくことに繋がるのです。
これを毎日繰り返すことで、禅寺の修行僧たちはより清らかで平安な心を得られるように。
さらに悟りに近づき、幸福を得られるようにもなるはずです。
掃除や家事=やらなくてはならない義務としてとらえていまいがちですが、目的を作ってはっきりさせ、美しい心で取り組む「作務」として考えてみるのはいかがでしょうか。
いつもの環境や周りの人たちがより愛おしく感じられ、感謝の気持ちが湧いてくるだけでなく、家庭における愛や職場が提供するサービスや目標もより深く充実したものになるはずです。
禅語とは、心安らかに日々生活するためのヒントが詰まった、禅宗文献に記載されている禅の言葉。
「挨拶」「喝」「我慢」「供養」「縁起」「億劫」「一期一会」など、普段何気なく使っている言葉にも多く禅語がありますよ。
雨の日も風の日も、どんな日であっても毎日は新鮮で最高に良い日という意味。
外がどんな状況でも、その時の感情や状態を楽しみながら味わって過ごせば、素晴らしい日になりますよね。
好きな人や仲が良い人だけでなく、苦手な人や嫌いな人にも一杯のお茶を差出せる余裕のこと。
どんな人の前でも、常に心の余裕を持っておきたいものですね。
空に浮かぶ雲のように、川を流れる水のように、自由に流れて生きていこうという意味。
どんな雲もどんな水も、風や岩にぶつかってもどんどん進んでいきます。
行く手を阻まれても、壁ができても、雲や水のように自由で柔軟にありたいところです。
ついつい他の人と自分を比べてしまって、自分が持っている「宝」を見失っていませんか?
誰にでも欠点もあれば素晴らしい面もあります。
他人と自分を比べてしまって自分を見失いそうになったら、自分を見つめ直してみましょう。
自分が良い行いをしたり、チームに大きく貢献するなど、自分の成果や良い行いをひけらかさないこと。
良い行いを褒めて欲しくなる気持ちもついつい抱きがちですが、せっかくの良い行いも打算や見返りを求めると輝きが曇ってしまいます。
黙っておくことで、清々しい気持ちと無心の境地を悟ることができるとされています。
同様の意味をもつものでは、自分の立派さを隠すという意味の「和光同塵」(わこうどうじん)という禅語もあります。
禅の世界では、この世は全てが夢と言われています。
夢の世界なのだから、後悔なく精一杯思いっきり生き抜きましょう。
他の人を気にしていて自分が歩みたい道を歩けていない…という方はいらっしゃいませんか?
一歩を踏み出すなら、他人と比べたり他人の動向を気にせず、自分なりの歩みでゆっくり歩き出しましょう。
人と比べるのではなく、まずは靴を揃えて、次の行動に移すのに何ができるか思索してみてください。
ありのままである自然な姿こそが真実であるという意味。
柳は緑色、お花は紅色、あるがままの個性こそ美しいのです。
みなさんは何色ですか?
他の色に染まりそうになっても、自分の色を大事にしましょう。
多くを求めず、今あるもので何もかも満ち足りていることを理解し、感謝すること。
目標づくりや向上心があることはもちろん良いことですが、そこに欲が出てくるとキリなく欲望がでてくることもあります。
場合によっては、それに縛られたり、執着してしまうこともありますよね。
今あるものに感謝することで、満ち足りた気持ちになるはず。
万物に感謝することの大切さを教えてくれる禅ならではの言葉です。
競争社会に生きる私たちは、常に誰かと比べたり競ったりしていますよね。
ライバルを蹴落とすのではなく、ともに目標を目指してお互いに手を取って高め合える良き仲間として接していきたいですね。
今日から実践できる、禅に学ぶ心がけをご紹介します。
執着は豊かな心を手放してしまうことに繋がりかねません。
「あの時イエスと言っておけば…」「あの時こうしていれば…」といった過去への執着は充実した生活からあなたを切り離してしまいます。
後悔や過去への執着が続くと、悩みが深くなったり、心に闇が広がってしまいます。
すぐに過去への執着を手放すのは大変かもしれませんが、まずはこれからどんなことができるのか考えてみることから始めませんか。
「今ここにある自分」「目の前のこと」に集中して、雑念を取り払って余計な不安も取り払いましょう。
どんなに他人と自分を比較しても、自分は自分で、他人は他人。
自分と他人を比較すればするほど、不要な執着や執着心がどんどん生み出されてしまいます。
自分が嫌になって苦しんでしまう前に、他人との比較癖を手放しましょう。
「こんな人になりたい!」という目標があるなら、人と自分を比べず、まずは何からできるかを考えて行動に移してみませんか。
目標があれば、他人と比較して嫉妬したり嫌になっている暇なんてないはずです。
人間には皆承認欲求があるもの。
でも、ずっと褒められ続けると自己成長が止まったり、人に褒められるためだけにいきているような気がしたりと、良いことばかりとは限りません。
人の物差しや価値観で褒められ続ける人生も良いかもしれませんが、一度きりの人生ですから自分の価値観でやりたいことを存分に楽しんで、後悔のない人生を送ってみませんか。
つい褒められたい気持ちになったら、先ほどご紹介した禅語「無功徳」を思い出してみてください。
いつもよりちょっぴり早起きして、お部屋のお掃除をできる範囲で行ってみましょう。
窓を開けて、朝一番に外の新鮮な空気を取り入れて行なうお掃除は、お部屋だけでなく心身のリフレッシュにも効果的。
清々しい気持ちで、余裕のある朝を迎えましょう。
余裕のある朝を迎えることで、良い一日のスタートが切れるはず。
余裕があれば、坐禅も取り入れてすっきりした気持ちで一日を過ごしましょう♪
私たちは、日々インターネットやテレビ、広告など膨大すぎる情報に囲まれて生きています。
情報量が膨大で過剰すぎると、私たちの決断や思考に大きな影響を与え、自分の気持ちの変化に鈍くなったり、判断力・決断力が低下してしまうこともあります。
現代を生きる上で情報はもちろん必要ですが、自分に必要な量を知って減らしていくことも心の平穏を保ち、健やかに生きていく上で大切なことですよね。
難しい場合は、寝る前や週末だけでもSNSやネットニュースなどに触れない「デジタルデトックス」をしてみるなど、自分にできる方法で目や耳にする情報量を減らしていきましょう。
身の回りのあらゆる無駄を省くのが禅の思想。
普段使わないものは、この機会に手放していきましょう。
余分なもの、不要なものを手放して生活空間と心をすっきりとさせてみてください。
本当に必要なものだけを揃えて、よりシンプルに「知るを足る」生活を楽しんでみませんか。
世界で注目されてる「禅」や日々のライフスタイルに取り入れる方法や心がけをご紹介しました。
禅の心がけや教えは一見取り入れにくく感じられるかもしれませんが、実は私たちの心や生活に親密に寄り添っています。
心豊かに穏やかに暮らすためにも、人生をより充実させるためにも、禅の心がけや教えを毎日の暮らしに取り入れてみませんか?
公開日 : 2019/11/21